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大阪高等裁判所 平成10年(う)428号 判決 1998年9月01日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐伯雄三作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官佐藤利男作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  論旨は、原判決は、検察官主張の予備的訴因を認定して、被告人が自動二輪車もろとも路上に転倒した上、前方に滑走し、被害者を驚がくさせて路上に転倒させ、傷害を負わせたと認定しているが、被告人の行為によって被害者が驚がくして路上に転倒した事実はなく、またそのように認めるべき証拠もないから、原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

本件は、当初、被告人が自動二輪車もろとも路上に転倒、滑走し、自車を被害者に衝突させて路上に転倒させ、傷害を負わせた旨の訴因で起訴されたのであるが、原審第九回公判で、転倒、滑走した被告人の自動二輪車が被害者に衝突はしていないが、被害者を驚がくさせて路上に転倒させ、傷害を負わせた旨の予備的訴因が追加され、原判決はこの予備的訴因を認定しているものであるところ、

1  関係証拠によると、本件事故現場の状況や事故直前の被告人の行動について、次のとおり認められる。

(1) 本件現場は、原判示の兵庫県西宮市津門呉羽町五番一三号先の東西に走る幅員約七メートル(東行き車線の幅員約三・二メートル、西行き車線の幅員約三・八メートル)のアスファルト舗装された平坦な道路であり、道路北側には幅員約一・四五メートルの路側帯が、南側には幅員約二メートルの歩道がそれぞれ設けられており、西行き車線と歩道との間にはガードパイプが設置されている。本件道路は、ほぼ直線で見通しは良好であり、制限速度は時速四〇キロメートルである。

本件事故当時、現場の照明は、本件現場の西方約二四メートルの位置に水銀灯一基があるほか、本件現場南側にある小学校の校舎窓からの明かりがあった。

(2) 被告人は、自動二輪車(排気量三九〇シーシー、長さ二・〇二メートル、幅〇・六七メートル、高さ一・一一メートル)を運転し、本件道路を東から西に向けて時速約五〇キロメートルで進行し、本件現場に差しかかった。当時、両車線とも交通量は少なく、被告人は、パチンコ店に行く途中であり、新しい勤め先の仕事のことを考えながら、前方注視を欠いたまま運転していたところ、被害者が道路中央付近を右(北)から左(南)に台車を押しながら歩いて横断しているのを右前方約二一・五メートルの地点に至って初めて発見し、急ブレーキを踏んだ。

2  次に、本件事故の状況についてみると、

(一)  原審証人Aの証言によると、次のとおりの事実が認められる。

(1) A証人は、本件道路を、被告人とは逆に、西から東に向けて原動機付自転車を運転して勤務先からの帰宅途中、本件事故現場に差しかかった。Aは、ライトを上向きにして進行しており、約四六メートル前方に左(北)から右(南)にゆっくり移動するもの(以下「被害者」という。)を発見し、人かも知れないと思ったため減速した。そのとき、対向車線上を自動二輪車が東から西に向けて進行して来ているのに気付いた(被害者と自動二輪車との距離は約四四メートル。)。

(2) Aは、被害者との距離が前方約一七メートルに至った際、視線を自分の進路に集中して進行していたところ、対向自動二輪車が被害者と擦れ違う感じがした時、ボコンと大きな音がしたのを聞いた。その時、Aは、衝突の状況を直接目撃はしなかったが、自動二輪車が被害者に衝突したと思い、音のした右横を振り向くと自動二輪車が、左側を下にして転倒した状態で西方に滑走していった。

(3) Aは、すぐに原動機付自転車を路側帯に停めて事故現場を見ると、自動二輪車が滑走を始めた地点から約五メートル西方に運転者が、約五・九メートル西方に自動二輪車がそれぞれ倒れていた。また、衝突地点から西方約五・九メートルの車道端に被害者が頭を西方に向け、顔を南に向けて横向きに倒れており、西方約三・八メートルの車道端に被害者の台車があった。このような状況を見たAは、ボコンと音がしたことから、自動二輪車の風防のカウル部分が被害者に当たったと思っていた。

(二)  これに対し、被告人は、捜査段階の当初における警察官調書(検一四、一五号証)では、考えごとをしながら進行し、前方を見たら道路上に人(被害者)が見えたので、急ブレーキを踏んだが、バランスを失い、単車が道路に転倒した直後、単車が被害者とぶつかり、そのまま道路を滑走して停止し、起きてみると、後方に被害者が倒れていた旨供述していたが、その後の警察官調書(検一六、一七号証)及び検察官調書(検一八号証)では、被害者とぶつかった時の衝撃や単車の損傷がなく、自分では被害者と衝突するのを避けたという気持ちがあるので、被害者とは衝突していないと思う旨、あるいは、自分としては被害者にぶつからずに、そのすぐそばを通り抜けられたと思った旨供述を変え、さらに、原審及び当審公判廷でも、被害者とぶつかっていない、自分では被害者との衝突は避けられたと思った旨、所論に沿う供述をしているところ、被害者とはぶつかっていないという被告人の供述は、前記A証言に照らし、また、被害者が被告人の自動二輪車と擦れ違った地点(衝突地点)から西方に約五・九メートルも離れた地点に倒れていたことの説明が困難であって、信用することができない。他方、被告人の捜査段階の当初における前記警察官調書において、単車が転倒した直後に被害者と衝突し、路上を滑走したという供述は、前記A証人が証言する(2)の状況とも符合していて信用するに十分である。

なお、所論は、本件事故直後に作成された被告人の警察官調書(検一四号証)は、被告人が事故時に頭部を打撲する等した普通でない状態で作成されたものであるから、任意性、信用性がないと主張するが、被告人の警察官調書(検一五号証)によれば、被告人は、「事故の状況については、事故現場で警察官に説明しましたが、相手の人の怪我が心配で事故の状況をはっきりと思い出せなかったので、翌日(平成七年九月九日)もう一度事故現場で事故の状況を説明しました。」「警察から相手の人がどちらの方向から横断して来たのか、相手の人が走っていたのか、歩いていたのか等聞かれましたが、よく思い出すことができなかったのです。翌日警察から呼び出しを受けて出頭したときには、一晩事故の状況を思い出そうと冷静に考えたところ、お婆さんが、北から南へ少し早歩きで横断していたことを思い出し、再び事故現場へ警察と一緒に行き、説明をしたのです。」と供述をしていることが認められ、右供述に照らすと、被告人に頭部打撲等による影響があったとは認められず、前記被告人の警察官調書に任意性、信用性があることは明白である。

3  関係証拠によると、本件事故後の状況について、次のとおり認められる。

(1) 本件事故現場の自動二輪車の進路上には、衝突地点の東側に長さ約五・九メートルのスリップ痕があり、衝突地点の西側に自動二輪車が倒れていた地点まで長さ約四・六メートル及び約四・八メートルの二条の擦過痕があることが認められる。

(2) 被告人の自動二輪車は、前部の風防カウル部分が真ん中から半分に割れており、その左側部分には擦過痕があり、また、左側前照灯、左クラッチレバー、左ステップ、ガソリンタンク左側部分が破損ないし損傷していることが認められる。

4  以上の1ないし3の事実関係によると、被告人は、自動二輪車を運転し、考え事に耽り、前方注視を欠いたまま時速約五〇キロメートルで進行したことにより、前方道路上を右から左に向かい台車を押しながら歩いて横断中の被害者を右前方約二一・五メートルの地点に初めて発見し、急制動の措置をとったところ、走行の安定を失って、自動二輪車もろとも路上に転倒した上、前方に滑走したが、右転倒の直後、右横断中の被害者に自動二輪車を衝突させて路上に転倒させたと認めることができる。

そして、関係証拠によれば、被告人は、その結果、被害者に対し、原判示のとおりの傷害を負わせたと認められる。

二  以上のとおりであって、被害者が路上に転倒して負傷したのは、本位的訴因のとおり、被告人の自動二輪車が被害者に衝突したからであって、予備的訴因である被害者が驚がくしたことによるものではないと認めるのが相当である。しかるに、原審は、本位的訴因によらず、予備的訴因を認定したのであるから、この点について原判決には事実誤認があるといわなければならない。

しかし、本位的訴因も予備的訴因も、被告人が前方注視不十分で走行した過失により、被害者に気付くのが遅れ、急制動措置をとったため自車の安定を失い、車両もろとも路上に転倒、滑走したところまでは、過失の内容も因果の経過も同一であるが、最後の被告人車が被害者に衝突して転倒させたのか(本位的訴因)、衝突はせず、被害者を驚がくさせて転倒させたのか(予備的訴因)について違いがあるだけである。そして、もとより、いずれの訴因をとっても成立する犯罪に違いが出てくるわけではなく、犯情についてもさほどの相異があるとも認められない。したがって、原判決の右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。事実誤認を主張する論旨は結局理由がない。

なお、原判決が本位的訴因を排斥して予備的訴因を認定し、これに対して被告人のみが控訴をしているのであるが、控訴審において、ふたたび本位的訴因を認定することは何ら差し支えないものと解する(最高裁判所平成元年五月一日決定・刑集四三巻五号三二三頁参照)。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋金次郎 裁判官 久我泰博 裁判官 白神文弘は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 高橋金次郎)

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